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2004年3月

防災活動(小学校校舎)

 3月27日(土) さえすけ姉(小学1年)が通う小学校の防災活動に参加しました。地震対策でワイヤーの入っていない窓ガラスに格子状に透明テープを貼るのと、各教室にあるテレビとテレビ台を固定する作業をしました。
 朝9時からPTA会長より作業説明がはじまり、3~4人で組んで作業してとのこと。どうしようと思っているうちにひとり取り残されてしまいました。「しょうがねえなぁ」とひとりで作業開始(情けない)。ガラスを4枚ほど拭いたところで、テレビ固定担当の人が二人入ってきました。しばらくすると「二人じゃえらいなぁ」というのが聞こえてきたので、「私、手伝います」とテレビ担当にスイッチ。何台かこなすうち、この二人は地区の区長さんと教頭先生だとわかった。われながら【ベストポジション】を手に入れたもんだ。しっかり自己紹介をして、これからもよろしくお願いしますとばかりにテレビを持ち上げる手に力が入りました。区長さんには地域の人たちが助け合わなければいけないという話をしていただきました。さえすけが地域で幸せに暮らすことにばかり気をとられていたけど、自分は地域に暮らしているかなぁ?。ずっと自宅と会社のいったりきたりばかりで、地域の・・・たとえば草刈りだとかに出たことはないし、まず自分からしないといかんよなと思いました。とりあえず、来月のイベントから出てみよう。防災活動行ってよかったです。地域の人と知り合ったりすることなんてなかったから。

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仲間 (その2)

2003年3月15日 つぼみの会(自閉症協会愛知県支部)に父親部が誕生しました。
とっても不思議な体験でした。父親部キックオフ会に自分がいる・・・それもスタッフとして。
 
きっかけはめめさんのメールでした。そこには『つぼみの会に入ったらすぐに「つぼみパパML」に登録してみてください。熱く燃える父親たちがすんごい情報量を流してくれます。H町のおとうさんがすごくがんばっていますよ』と書いてありました。【そんなおやじがいるの?】 がそのときの私の感想で、”そんな人たちがいるなら会ってみたいな”とさっそくMLに登録することを決めました。
でも自己紹介のMLの送信ボタンがなかなか押せず(勇気がいるんですよね。初心者は)2日たってようやく送信。そしたらH町のお父さんから、『今度の父親会に参加しませんか?』とお誘いの返事。はやくもチャンス到来です。それも3日後に・・・。「おー、こんなにはやく来るとは、こっ、こころの準備がぁ」と、いい年こいてなんですが、正直ビビリました。「どんなすごいおやじたちなんだろう?」って。そんな小心者のおやじに力を出させてくれるのはやっぱり家族の存在です。頼りないおやじにはなりたくないとばかりに父親会に出席、そしたら、そこにいた人たちは”特別ではない”ふつうのおとうさんたちでした。

めめさんのときもそうだったけど、一生懸命な姿が”特別”に見えたりすることがあります。でもよく考えてみると、みんな子どもの幸せを願うふつうの親なんですよね。それがわかったので、それなら自分にもできるはずって、そう思えました。仲間を探して、そして仲間に出会えて良かった!

”縁”という言葉がありますが、まさに、さえすけが導いてくれた縁です。たくさんの仲間ができました。きっとこれからも増えていくと思います。

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いつだったか、ある先輩父さんが言ったことで、私もそうだなと思う言葉があります。
「この子はたくさんの人に会わせてくれる。そして会う人はみんないい人たちばっかりだ。この子に本当に感謝している」  ほんと、さえすけありがとう。

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仲間 (その1)

 さえすけは通園施設に通うことになりました。おやじは相変わらず仕事漬けで夜中に帰ってきては自閉症サイト巡り。このころはよくniftyフォーラムを見ていて、そこに出ている人はすごいなぁ、なんて思いながら読んでました。
 ある日のこと、嫁さんから「園に通う子のおかあさんがどうもniftyフォーラムに出ている人なんだって」と聞いて、私は、えー、うそ、ほんとに、とまるで芸能人が近くにいたかのようなリアクション。まさかこんなに身近な人だとは。そしてふつうのおかあさん。なにかしなくちゃと思いながらも、いろいろ自分に言い訳しながら、結局なんにもしてこなかった自分が情けなくなりました。
 そのおかあさんは、このblogのリンクにある「きらきら ぐるぐる」blogのめめさん。めめさんに出会えて、その後の自分の人生変わりました。大げさですが(^^)。 自閉症のこともblogのことも、とても参考にさせてもらっています。
 それからめめさんには地元の親の会「わっしょい」にさそってもらい、さえすけだけでなく家族全員が月一回楽しい日曜日を過ごしています。わっしょいは障害児本人だけでなく、きょうだい児、さらにはおやじたちも楽しく参加している親の会です。「わっしょい」のことはこのblogで紹介していこうと思います。
 てなわけで、あれあれー、という間に仲間の輪に入ることができました。おかあさんたちってすぐ話会えるんですよね。母たちのネットワークに感謝です。おやじたちにはなかなか真似できません。

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自閉症を知りたい

 毎日インターネットで自閉症関連のサイトを見ていて、ダダ父通信にたどりついた時は、それこそ画面にかじりついて何度も何度も読み返して記憶しました。とにかく【知らない】状態から抜け出したかったんだと思います。
 講演会というものにも参加しました。諏訪利明さんの講演会。具体的でわかりやすい内容で、周りが自閉症の人に適した対応をすれば、本人は安心して幸せに暮らせるんだということを、しっくりと理解できた気がしました。不安に思っている「自立」についても諏訪さんは、 『完全に自立をしている人はほとんどいません。そんな生活をしようと思えば、魚を食べたくなったら釣りに行き、ご飯が食べたくなれば田植えからはじめなくてはなりません。みんな生きていくのに必要な支援を受けて自立しています。自閉症の人たちも必要な支援があれば自立できるのです』と話され、なるほどぉと、簡単ではないけどそうなるといいなと思いましたた。行ってよかった。

 ほかに講演会に行ってみて思ったこと、それはおやじの少ないこと!2%ぐらいかな。平日の講演会だったので、そのころは「当たり前か、おやじは来れないよな」と思っていたけど、今は、平日だろうがおやじも参加すればいいのにと思います。”自分から聞きに行った”ってことだけでも、なんか自分がちょっと前進したような気になれたので。

 その講演会には娘と同じ通園施設に通う子のおかあさんたちがいて、ちょっとうらやましかった。そのときちらっと「おやじの仲間」を想像したけど、無理だよな~、無理無理ってすぐ考えるのをやめました。

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さえすけ誕生~1歳半 のこと

 さえすけは1998年7月9日我が家の二女として生まれた。生まれた日のことは忘れられません。

 予定日を2日過ぎていたので、その日はもうそろそろ生まれるかなと思いながら出勤。そして昼過ぎに生まれそうとの連絡。たまたま実家にきていた妹が嫁さんを連れて行ってくれたと聞き、私は産婦人科に直行。長女のときはいろいろあって立ち会えなかったけど、今回は立ち会えるというので、緊張しながら部屋に入りました。3時間ほどたち、さえすけは生まれました。
ようやく会えた赤ちゃんに感激したのはもちろん、こんなすごいことをやってのける嫁さんに感謝。女の人はすごい!男にはできません(当然だ)
 部屋を出て気がつくと、服が血だらけになっていました。点滴したまま嫁さんがつかんできた時ついたみたい。でもお産に立ち会ったばかりの私は、そんなことは小さなことと思えて、そのまま隣の眼鏡屋に、奥さんのコンタクト用品を買いに行ってしまいました。(だってしょうがない) 周りにいた人は驚いたことでしょうね。きっと。

 さえすけが生まれたころは仕事で毎日午前様状態が続いていて、さえすけのことは嫁さんに任せっきりになっていた。今思うと信じられないが、いわゆる会社人間だったかもしれない(同僚は否定するかもしれないけど)
ていうのは言い訳で、実はあんまりこの頃のことを覚えていない。自慢じゃないが、記憶力はよくない。覚えているのは、なかなか立つことができなくて「どうしてなんだろう、もしかしたら歩けない???」と心配していたことや、目が合わない、こちらを向いていてもまるで私を透かして見ているような視線に、ちょっと変わってるかなと思ったことなど。
 でも結局歩けるようにもなって、自分に言い聞かせるように、「大丈夫、大丈夫」って言ってたなぁ。

 そして、さえすけ一歳半の頃、嫁さんから自閉症かもしれないと打ち明けられた。私の反応は、「自閉症って何?」だった。ほんとになんにも知らなかった。
で、毎夜インターネットで「自閉症」を検索。そしたら泣けてきた。なんでかなぁ、今思えば、自閉症の人の幸せな暮らしっていうのがイメージできなかったためだと思う。

自閉症でないことを祈った。

 当時の私は現実を直視するのを避けていて、そして恥ずかしながら自閉症についての正しい知識など持ち合わせていなかった。

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